※本記事は特定の作品に関するネタバレを含みます。ご了承ください。

2023年2月10日に投稿されたイラストレーター・BAKUIとのタッグ作品「命辛辛」に続く第3弾として、ちょうど1年ぶりに両者の濃密な世界観が結実した作品「灰Φ倶楽部」が公開され、リスナーからは絶賛の声が集まっている。「灰Φ倶楽部」という謎めいた組織を舞台にしたストーリー。グリッチ感あふれるギターサウンドと遊び心満ちたサウンドエフェクトで彩られ、創意に富んだアニメーションが深い没入感へと誘う。イラスト・ムービーを手掛けたBAKUIを迎えた対談では、二人にも共通するというもう一つの世界について語り合った。(取材・文/小町碧音)

──BAKUIさんが煮ル果実さんの作品を初めて知ったのは、いつ頃でしたか?

BAKUI 2021年頃です。「アイロニーナ」という作品の動画が、当時のTwitter(現:X)のタイムラインに流れてきたんです。サムネイルの可愛らしいカラーに惹かれて思わず観始めたら、とんでもなく自分に刺さる内容で…涙腺が崩壊してしまいました。その作品から、煮ル果実さんは創作者の心情に寄り添うという意味でも信頼できる方だと感じましたね。

──では、煮ル果実さんが初のタッグ作品「命辛辛」のMV制作をBAKUIさんに依頼しようと思った理由はなんだったんでしょう。

煮ル果実 『創・天国と地獄』のプロジェクトを始める2021年頃、イメージボード作成のためにYouTubeを漁っていたところ、BAKUIさんことSakana uo Sakanaさんの作品「Die in the Sea」に出会いました。独特な世界観に引き込まれたのはもちろん、作品が表現する地獄のイメージが、当時の自分の構想と驚くほど一致していたんです。その衝撃を受けて、いつかBAKUIさんと一緒に作品を作りたいと思うようになりました。そして満を持して、「命辛辛」の制作に際し、オファーさせていただいたんです。

BAKUI 「Die in the Sea」だったんですね。「Die in the Sea」は芸術系の短大の卒業制作なんですけど、当時自分が全てを出し切った作品が、今こんな風に受け入れられて、過去の自分も、今の自分も救われた気がします。嬉しすぎて言葉が出ません……!

──「命辛辛」「アメリ」そして、「灰Φ倶楽部」と一緒に作品を制作していく中で、BAKUIさんの表現力や創造力についてはどう感じていますか?

煮ル果実 最初の会議から、BAKUIさんには僕の意図を汲み取って、それを独自の表現で昇華してくれるという絶対的な信頼があったんですね。BAKUIさんのすごいところは、自分の脳内にあるイメージを誰にも真似できない形で具現化できるところだと思っています。もともと難解なストーリーや表現が多いイメージがあったんですけど、少年漫画のような一般の方も理解しやすいストーリーもしっかりと描き出すことができる。3回も一緒にMVを制作していると、その多才さがどんどんわかってきて。自分はそういう方と出会いたいなと思っていたので、嬉しいです。

──BAKUIさんにとって、煮ル果実さんの印象は最初と今でどのように変わりましたか?

BAKUI 最初は煮ル果実さんのことを、とてもカリスマ性のある存在だと感じていました。正直、かなり恐れていたんですよ。でも、お話していくうちに、とても優しい方であることがわかってきて。毎回楽曲制作のイメージを伝えていただけるんですけど、その内容を読むたびに、多くのリスナーには伝えないような深い思いが込められていると感じます。私が直感的で曖昧な人間なので、信念を持っている煮ル果実さんを見ていると、自分もこうなりたい、いや、ならなければいけないとさえ思う。憧れの存在です。

──今回の「灰Φ倶楽部」の曲名はどこから生まれたのでしょうか。

煮ル果実 漢字の「灰」と記号の「Φ」が自然と頭に浮かんで、「灰Φ」「倶楽部」という組み合わせから曲名が生まれたんです。僕はタイトルをもとに曲を作るタイプで、今回もタイトルから歌詞の運びを考えていきました。ここで言う倶楽部とは、カルト集団的な性質を持った組織を意味しています。

──一目見ただけで、何かがおかしいと感じるMVでした。會長がターゲットを巧妙な言葉遣いや態度で支配しようとする様子や、ターゲットが徐々に支配されていく時の心理的な変化が細部まで描写されていて、思わず引き込まれる仕上がりで。

煮ル果実 歌詞の中で描いている批判の対象としている〈ネ申〉は、居るだけでありがたがられ、自分の思想を信者に植え付けようとするだけで決して助けてくれないような存在を例えたものです。それを信じる人が何か救われたと思えるのは結局その人自身が頑張っているからこそだと僕は思うんです。日々を生きる中で、何かを〈ネ申〉と崇める瞬間は何度もある。ただそれは一方的な祈りや依存に過ぎなくて、互いに必ずしも良い結果をもたらすとは限りません。

──なるほど。

煮ル果実 そして一番僕が言いたかったのは、日々過ごす中で陥る無力感や自分の至らなさ、悲しみにつけこんで、信じているものを歪めて新たな思想を植え付け扇動しようとする大きな流れや存在に対する怒りでした。何かをしようとすると、いつもその声が、その存在が自分の邪魔をしてくる。そうした感情が「灰Φ倶楽部」で生きている感じですね。

BAKUI ストーリーを作る上で、自分が共感したことがないといいものは作れないと感じているので、私も煮ル果実さんと同じように生きていく中で「これはダメ」「これは良い」と葛藤することがあって。もう一人の自分が邪魔をしてくるような感覚があります。そのせいで、いろんな分野に手を出してしまう。でも結局、どれも納得できない結果に終わるんです。同じように主人公のナインも、いろんなことに手を出すんですけど、うまくいかずに苦しむという。その苦しみの最中に「灰Φ倶楽部」が現れて。



──MVの冒頭、ナインが暗い部屋でテレビを見ながら苦悩の表情を浮かべるシーンがありますね。テレビに映るさまざまなカットは、ナインがこれまで手を出してきたものを象徴しているんでしょうか?

BAKUI そうです。ナインがやりたかったこととか、憧れていたものを描きました。かなり抽象的になっちゃったんですけど。



──灰Φ倶楽部との戦いの末、ナインの物語が逆転していく展開は痛快でした。

煮ル果実 曲を書き終えてみると、これは絶望的なものではなく、前に進む話だと感じました。いつもなら弱さを嘆かないようにという曲を書くんですが、今回は大事にすべきところは他人に任せちゃ駄目だよ、という意味合いが強くて。オマージュとして入れた要素としては、映画『ファニーゲーム』。終盤では、登場人物が反撃に成功するも、殺人鬼の仲間の一人がリモコンのスイッチを押すことで現実が巻き戻されてしまうというメタ的かつ視聴者への皮肉として最悪な展開が待ち受けています。「灰Φ倶楽部」では、このリモコン演出に対するある種のアンチテーゼとして、良い未来へと導くことに用いたんですよ。

BAKUI 実は私も『ファニーゲーム』を2、3回観ました。特に記憶に残っているのは、殺人鬼が人を殺す時、テレビに血がすごくかかるシーンでした。ここはテレビ繋がりとして、MVの最初の冒頭にテレビを入れちゃえ!と思ったんです。

煮ル果実 へー!そうだったんだ。BAKUIさんには、会議で「灰Φ倶楽部」の崩壊まで描くように伝える中で、巻き戻しのコンセプトを提案したんです。実際にリモコンの効果音に合わせて映像演出を取り入れることで自身の意図を形にしてくれただけでなく、前進し続ける主人公を描いてくれました。僕のアイデアが実現されたことがとても嬉しいです。

BAKUI 最後にナインを救うべきかどうかで悩んだ末、結果としては一見救われたように見える結末を選びました。多様な解釈を可能にしたかったので。



──ほかにも参考にしたことはありましたか?

煮ル果実 もう一つの重要なリファレンスが、アリ・アスター監督の映画『ミッドサマー』でした。この作品は、監督自身の失恋体験や家族関係のトラウマから生まれたというインタビューを読んで、ホラー映画に対する見方が今までと大きく変わったんです。それまで、ホラー映画はグロテスクだったりスリルある表現で恐怖や刺激を与えるだけのコンテンツなんだと思っていました。でも、個人的な感情や後悔等をホラーという表現で出力する人もいるのだとその時知りました。それ以来、ホラー映画を観るのがどんどん面白くなり、監督の意図や込められたメッセージを読み解くことが楽しみになったというか。BAKUIさんに相談したのも、BAKUIさんの画風でもあるホラーのテイストを取り入れたいと思ったことが大きいですね。

BAKUI 自分の作品を作る時はホラー映画をかなり意識しているくらい、私自身がホラー映画を大好きだったので良かったです。「灰Φ倶楽部」では普段通り、‟本当の好き”を出せたかなと思います。

──それにしても、カルト集団とホラーが結びついたのはなぜでしょう。

煮ル果実 無力感、拒否感、他人の思想の押し付けといった、自分の恐れていることがまさにホラーだと気付いたんです。だから、「灰Φ倶楽部」ではホラーをリファレンスにする割合が多くなったのかもしれません。

──BAKUIさんが、煮ル果実さんから受け取ったデモ音源からストーリーを形作っていく過程で意識したことはどんなことでしたか。

BAKUI 「灰Φ倶楽部」を耳にした瞬間、もう頭の中で映像が次々と流れ始めて。その浮かんできた映像を形にできたらと思いながら、制作に取り組みました。特に〈アヴァラ マダ ラダ〉の部分は、最初に思い描いたイメージをそのまま映像化できたんです。

煮ル果実 あそこ、気持ち悪くていいですよね(笑)。普通なら思い付かないし、現実で人間ができる動きしていないじゃないですか。やっぱりBAKUIさんのすごいところはそこだと思う。

BAKUI 私個人の感想なんですけど、予測できない動きを見つけると、めちゃくちゃ心の中に刻まれてしまって。こんな表現あるんだって楽しめるのでこれからもそういう表現をいっぱいしていきたいです。

煮ル果実 サビの背景の制作には、新しいソフトを使ったんですか?

BAKUI そうです。今回は初めて3Dソフト「Blender」を使って、かなり複雑な作品に挑戦しました。「命辛辛」の動きも3Dソフトで作られたように見えると思いますけど、実は全て映像編集ソフト「After Effects」で制作しています。それぞれが全然違うものなので、慣れるまで大変でしたね。時間内に完成できたことには、自分でも驚いています。

──キャラクターもいい味を出していますよね。

煮ル果実 そうですね。ドムとモーラは、聖書に登場する町の名前「ソドムとゴモラ」に由来しています。ソドムとゴモラは、神の怒りに触れて滅ぼされた町なので、この名前から‟破滅”を示唆しているんです。マダという名前は、最初から決めていたわけではなく、ある時、ふと頭に浮かんで。

BAKUI マダという言葉を初めて聞いた時、本当にマダだという感じがしました。

煮ル果実 顔がマダって感じですよね(笑)。顔の印象からネーミングすることが多いんですけど、マダは本当にぴったりだと思いました。ナインについてはここでは伏せておきます。



──BAKUIさんがキャラクター制作でこだわったことについても教えてください。

BAKUI 曲はロックでホラーの雰囲気を感じられるので、キャラクターはダウナー系を目指しました。ナインの額の縫い目は、彼がさまざまな事物に手を出してしまうことを継ぎ接ぎされたイメージで表現したアイデアから来ています。ウルフカットや白黒ボーダーのインナーなど、闇を感じさせるスタイルにしました。洗脳されて意思を失っていく表現として、ナインの目の色が灰色に変わるようになっていて、サビの最後では目が赤色になるなど、細かい部分にもこだわりました。



煮ル果実 灰色の目は、「灰Φ倶楽部」から連想してくれたんですか?

BAKUI はい、そうです。マダに関しては、自分が好きなタイプの悪役を描いてしまいました(笑)。思わず入信してしまいそうな魅力的なデザインにしたかったので、大きな体格の人物にしました。背が高いだけでなく、性別もはっきりしないミステリアスなイメージで。

煮ル果実 マダの印象は、最初に見た時とMVを通して見た後とでかなり変わっていて。初めはとてもおしとやかで何となく笑みが不気味で、何を考えているのかわからない感じがあったんです。でも、サビになるとめちゃくちゃ楽しそうに動いていて、「それにしても、この會長楽しそうである」みたいなことを感じるくらい(笑)。このギャップがあったからこそ、マダが愛着のあるキャラクターになった気がします。カリスマ性と不思議な愛着感のアンバランスがすごく良かった。ドムとモーラについても気になるな。

BAKUI 煮ル果実さんとのお話の中で「灰Φ倶楽部」にナインやマダ以外にも付き人がいた方が良いかという話が出て。その後、自分の中で考えを巡らせているうちに、付き人がいた方がいいと思ったので、ドムとモーラを描くことにしたんです。なるべく多くの人に当てはまるように、どちらも性別を明確にしない方向にしました。特にモーラは、目を隠すデザインにして、かわいらしさや美しさを表現することで、注目してもらいたくて。ドムとモーラは、欲望に任せて描いていたかもしれません。作品全体で言うと、「灰Φ倶楽部」は「命辛辛」の投稿からちょうど1年ぶりの投稿ということもあり、「命辛辛」のオマージュを入れたくてダンスシーンは特に動きを似せていますね。



──サウンド面はどうでしょうか。

煮ル果実 もちろん、サウンド面もこだわりました。「命辛辛」では、カメラのシャッター音や水の雫が落ちる音など、面白い音を取り入れるのが楽しかったので、「灰Φ倶楽部」でもその雰囲気を継承しつつ、打ち込みの割合や音数を減らして新しいギターロックを作ろうという意気込みで作りました。
特に、サビに入る前の「ギャアアアアア」という叫び声のような音は偶然録れたので、面白いと思って取り入れました。また、以前購入して、まだ使ったことがなかったコンパクトエフェクターのオートワウとファズディストーションを合わせて、ザラザラかつみょんみょんとした奇妙な音を出してみました。それが、ドムとモーラが手を合わせるシーンで鳴っています。

BAKUI 2サビ終わりからナインが倒れるシーンで「ドン」という音がありますけど、その音が一瞬銃声に聞こえてしまって。これが重要なポイントかと思い、どう音ハメしようかなって悩んだところでした。

煮ル果実 ちょっと今聴いてみてもいいですか?今、ナインが倒れるところです。(ここで「ドン」という音が…)あ、本当だ。自分でも気付かなかった音が鳴っていますね。いや、心霊現象ではなく、ドラムのキックの音です(笑)。この音は、倒れるシーンと完璧にリンクしていますね。倒れる時の音としてそれを変えてしまったのは、さすがのセンスです。

──マダのギャップ、ギターの悲鳴音、倒れる音…どれもが偶然の産物で、結果的にホラー要素として昇華されているのも面白いですね。

煮ル果実 「灰Φ倶楽部」を通してホラーの要素を取り入れてみたら、想像以上に面白く仕上がりました。今後も一緒に作品を作る時は、是非またこういった雰囲気の作品にも挑戦しましょう。

BAKUI その言葉、嬉しいです!ぜひ、また一緒にホラー作品を作りましょう。