その音に触れた途端、“暗闇”に呑まれていったーー。ヒップホップのタイトなビートが鼓膜を叩く「ファニー・インシピッド・キャンディ・ベンダー」は、ボーカロイド・v flowerと煮ル果実のラップが火花を散らし、ドープなライムが弾けるナンバーだ。MVを手がけたのは、イラストレーター・ヤスタツ。煮ル果実の言葉から、歌詞に登場するAIの裏に、ある感情が隠れていると知った瞬間、本楽曲は全く別の視点で物語を語り始めることになった。(取材・文/小町碧音)


――「ファニー・インシピッド・キャンディ・ベンダー」を聴いてから、戦慄というか、ゾクゾクする感じが止まらないのですが…(笑)。

煮ル果実 ゾクゾクする感じはかなり目指したところですね。「サルバドール」(2021年)でもMVの制作をお願いしたヤスタツさんに今回声をかけたのは、本当に直感的な理由でしかなくて。

「サルバドール」をリリースした後、僕もヤスタツさんも主人公のオーロ(オーロ・アンダルシア)のデザインを気に入っていて、「またオーロを登場させたいね」と二人で話していたんですよ。その後、「灰Φ倶楽部」を作り終えた頃に「ファニー・インシピッド・キャンディ・ベンダー」の構想が浮かんで。


――それで、今回のMVのラストにもオーロが登場するわけですね。

煮ル果実 そうです。そのときに、“ボーカロイドと人間のラップバトル”をテーマにしたいと思ったんです。MVでは、機械vs人間の対比構造が出ていて、どっちの飴売りが優れているのかを競い合っているんですけど、最終的にはどっちも大切なことを見落としているから破滅してしまう。最後は、商業的に成功者のオーロがその有様を見て笑っている。この結末までは、ヤスタツさんとしっかり話し合いながら制作していきました。



――v flowerが演じるキャンディ・ベンダーのロボット、ムウ。煮ル果実さんが演じる人間のルイン。このルインというキャラクターを、煮ル果実さんが演じる必要があった理由を伺いたいです。

煮ル果実 機械vs人間というテーマだからこそ、僕が歌う意味があったし、スピリチュアル的に曲が僕を求めていたというか(笑)。最初にできた歌詞を見て、「これは僕が歌ったほうが面白くなるな」と思いました。ヒップホップには、ビーフ(アーティスト同士のリリックによる対立)という文化がありますけど、ここまでガッツリと一曲の中でディスり合う曲を作ったのは今回が初めてでしたね。

ラッパーの人たちは、コラボする時は2番から参加することがよくあるじゃないですか。だから、本来なら僕は2番だけ参加すれば良かった。でも、この曲では、“2人で喧嘩する”ことを表現するために、1番にも2番にも僕のラップパートが必要でした。それに、純粋に1曲の中で戦い合ってみるのも面白いんじゃないか、と思ったので(笑)。


――今回、煮ル果実さんの歌唱パートでは、不思議とv flowerへの配慮が伝わってきますし、闇が増幅されているのが興味深いです。

煮ル果実 サビで一緒に歌うことは決めていたんですけど、あくまで、この曲はボーカロイド曲であることが前提なので、v flowerのパートが多くなるようにしています。v flowerの、突き刺さるような声質は、この曲に合っていると思います。口喧嘩している感じも、v flowerの声なら表現できる。僕にとってv flowerは一番調声しやすいんです。僕が歌いやすい音域でv flowerを調声すると、すごく気持ちよく聴こえることに「アイロニーナ」(2021年)の頃から気づいていたので。僕の声とv flowerの声は、相性が良いんだと思います。



――ラップといえば、ダークで惨い世界観の「ヘブンドープ」(2022年)でも煮ル果実さんの歌唱パートが一部ありましたが、ここまでたくさん歌っているのは珍しいですね。

煮ル果実 そうですね。「ヘブンドープ」ではエフェクターで声を加工して匿名っぽくしていたんですけど、今回は自分の声でしっかり歌ったので、また違った質感になったと思います。


――煮ル果実さんの歌声を初めて聴くリスナーもたくさんいることでしょう。

煮ル果実 本来、歌う意味がないのに歌うみたいなことはしたくないんですよね。ボーカロイド曲に人間の声を入れるのは、ノイズになる可能性もあるわけだから。そもそも、ボーカロイドだけが歌っている状態が神聖なものだという認識が自分の中にあるから、もし入れ込むのであればそこにちゃんと意味を持たせないと、なんか心地が悪くて。
ボーカロイドの文脈があってこその表現を、大事にしたいと思っています。



――1番の〈AIアム上々↑↑〉というフレーズからは、ここ数年で急速に注目を集めるようになったAIをテーマにしているのかなと感じました。AI技術の発展によって、あらゆるものが量産可能になった現代。その一方で、実は見えないところで階級社会が生まれている。そんな構造を描いているのかな、と。あくまで個人的な解釈ですが。

煮ル果実 「サルバドール」は、消費をテーマにした『POPGATO』(2021年)というアルバムに収録されていて、消費文化に対してポップかつロックに描いた曲でした。でも、今回は違っていて…。

実は、会ったことはないんですけど、すごく嫌だなと思うクリエイターがいたんですよ。そのクリエイターは、作品内や表現ではなく直接的にリスナーやファンをとにかくバカにするというか、コケにするような態度をとっていて。傍から見ていて、たまらなく腹が立ったんですよね。普段から貶してくる人や傷つけてくる人になら解らなくもないけど、自身を支えてくれる人にそういうことをする人がいるんだ、と。


――なるほど…!

煮ル果実 だから、そういう嫌な奴を皮肉る曲を作ろうと思ったんですよ。今回は、文化や消費といった大きな話ではなくて、凄く個人的に苛立った、“愛がない”奴らをテーマにしようと。ある種の怒りから生まれた曲になっていますね。

この曲で言う機械は、「機械みたいに適当に量産してモノを作る人間」として捉えることもできると思う。ムウとルインの思想どちらが世間的にあってるのか間違っているかどうかは、正直どうでもよくて。やっていることは違っても、結局同じ穴のムジナだ、と表現したかったというか。この曲を聴いて、シリアスに捉える人もいると思うけど、僕としては娯楽的に楽しんで聴いてもらえると嬉しいかも。



――私はシリアスに捉えすぎていたようです(笑)。また、「キャンディ」というモチーフも、この曲の世界観を作り出す重要な要素の一つになっています。

煮ル果実 舐めたら消えてしまう飴は、結局のところ様々な物事と同じだと思うんです。「サルバドール」のオーロは、チュッパチャプスのロゴをデザインしたことで有名なサルバドール・ダリをモデルにしていたこともあって、「キャンディ・ベンダー」というモチーフを思いつきました。そこからいろいろと膨らませていって。〈飴と鞭だぜ〉という言葉も出てきたから、「これ、飴売りの話だな」と直感して発展させていきました。

粒が転がるような質感のサンプリング音源も、飴が転がる音や、飴売りや菓子売りのワゴンのタイヤがコロコロ転がる感じの音をイメージしたものです。


――今回の楽曲制作にあたって、インスピレーションを受けた作品はありますか?

煮ル果実 影響を受けたのは、『ハズビン・ホテル』というアニメです。キャラクターのヴォックスとアラスターが歌いながら喧嘩する「Stayed Gone」という曲が大好きなので、参考にさせてもらいました。とくに、僕はアラスターがめちゃくちゃ好きで、彼をテーマにした曲を何曲も書きたいと思っているくらい(笑)。カートゥーン調のイメージが強いアニメだったので、今回使っている音も少し小馬鹿にしているような感じにしていて。それから、ティム・バートン監督の美術も大好きで、『チャーリーとチョコレート工場』という映画も少しリファレンスにしています。「ファニー・インシピッド・キャンディ・ベンダー」を作るうえでは、ヤスタツさんにも二つの作品のイメージを伝えていました。



——ヤスタツさんの手がけたアニメーションもリスナーの考察が捗る仕上がりだったと思います。インパクトのあったシーンがあれば教えてください。

煮ル果実 最後のほうで、子供たちがムウから離れていって、ルインが新聞を読んで動揺し始める。まさに二人の脱落シーンですね。

あそこは、実は本当に発表(ワンマンライブにて初披露)前日の最終段階とかで追加されたシーンなんです。まだ何か足りない気がするので入れたいと言ったら、ヤスタツさんが構図やアイデアを考えて描いてくれました。あのシーンが入ったことで、物語がギュッと締まるというか……二人の哀れさと切なさが際立つんですよね。凄く短いシーンなんですけど、その一瞬で「みんなの心が二人から離れていったのかな?」という空気を匂わせることができた。そういう説得力ある表現を一瞬で思い付いた、ヤスタツさんは流石だなと。



――苦しいと感じているときにこそ、刺さる。また、そういう煮ル果実エッセンスがあふれだす1曲に触れることができたと感じています。

煮ル果実 そう思ってもらえるのは、とても嬉しいです。昔は「自分のことだけを書いているのに、なんで共感してもらえるんだろう」って、少し斜に構えてしまうところもあったんです。でも、最近はその事実に本当にありがたいなと思える自分がいることをちゃんと認めることができるようになったというか。「めっちゃ良かった」「しんどいときに聴いて救われた」と言ってくれる人がたくさんいるんですよ。直接繋がっていなくても、音楽を通して、本来なら出会えなかった人たちと、一瞬だけでも分かり合えたような気がする。それは、ありがたいことです。

もちろん、自分に嘘をつかずに表現することは大事だと思う。ただ、その姿勢が自分を信じてくれた誰かを深く傷つけることになるんだったら、わざわざ言わなくてもいいんじゃないかと個人的に思うことはやっぱり多くて。「言葉にするんじゃなくて、作品でやれよ」と思う。
本当に、ファンの人たちの存在が自分の中でどんどん大事になってきている。だからこそ、その存在を無下にするクリエイターが許せなくて、この曲が生まれたんですね。